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私の夫は食い尽くし系。
食欲が凄いし、人の皿に箸を入れる、人が食べているものを一口どころではなくかっさらっていくなど日常茶飯事だった。
しかもタチが悪いことに人が食べているものを見ると食べたくなる性質で、夫の量を増やせばいいかというとそうでもない。
例えばアイスなどを買うときに「(夫の分も)買う?」とか聞くと夫は「いらない」という癖に、家に帰ってお風呂の後とかに私が食べ始めると、どこからともなく夫が来て「一口頂戴」と言って半分以上食べ尽くす。
そんな感じだから一緒に食事なんてできたものではない。
私の分だけではなく、子供の皿からも肉類を中心に奪いとっていく。
私が注意すると「大人だから食べる量が多くて当たり前だろ!」「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!」などのお決まりの文句。
それだから、夕食は夫のいない時間にこっそりと食べるしかないのだが、いつまでもこんなことを続ける訳にはいかない。
一度、夫と今後一緒に食事するために話しあったことがあるが、
「何で同じテーブルの上にあるもので食べたいものを我慢しないといけないんだ?これは妻のもの、これは子供のものと決めるのはおかしい。働いているお父さんに家でリラックスして貰おうと思わないの?テーブルの上にあるものは、誰の皿とかで分けるのではなく食べたいだけ食べていいはずだろ?」
と悪びれもせずに言う。
どうやら、夫には「自分以外の人の食べる権利」という概念がないようだ。
こんな夫なら、まずは一から再教育しないと。
私は半年かけて計画を練り、家庭問題の専門家にも相談して、合法的に夫を懲らしめる計画を立てた。
・・
ある朝。
「行ってらっしゃーい!」
晴天の中、小学生の息子と娘を笑顔で送り出す私。
その日は、親子3人で楽しく朝食を食べた。
娘は少し不思議そうに
「パパはいつ帰って来るの?」
と聞いていたが、私は
「パパは単身赴任で遠くに行ってるの。来週くらいには帰って来るかな。」
「そっか。」
いつも夫のせいで満足に食べられない子供たちだったが、夫がいなくなると少し心配そうだった。
子供たちが学校に出かけたあと、私は食器の片付けや部屋の掃除を少しした。
そのあと、地下倉庫に続く階段を下りて鍵を開けて地下室へ。
子供たちには、地下室には危険な工具があるから入ってはいけないと前から伝えていた。
・・・
重い扉を開けると、暗闇の中に蠢く影。
電気をつけると、私の夫は全裸で鎖のついた首輪をされ、後ろ手に手錠で拘束され、足枷や固い革製の猿轡もされて監禁されていた。
電気の消えている地下室はほとんど真っ暗で、夫は長時間監禁されてオドオドした目つきになっていた。
夫の背中には夥しい鞭の跡。
夫を監禁してそろそろ3日経とうとしていた。
そのあとは、ペット用の皿に乗せた残り物のご飯に鰹節をかけたものを床に無造作に置き、猿轡を外した夫に食べさせた。
夫は豚のようにガツガツと飯にありついていた。
食べ終わると夫は私を見て「おねがいだから、助けて・・」と言っていたが、私は夫を蹴り飛ばし「家畜が口を聞くんじゃねえよ!」と完全に動物として扱っていた。
そのあとも私は夫を痛ぶった。
鞭だけでなく、素手でも殴る蹴る。
裸で後ろ手に縛られている夫はなす術もなかった。
そんな私に甚振られている夫だったが、最近は妙なことが起きはじめた。
私に拷問されている夫のチンコが何故か勃起していた。
はじめはなんらかの原因でそう見えるか、朝立ちのように意図せずそうなっただけかなと思っていたが、明らかに私に拷問された夫のチンコが勃起していた。
「何、勃ってるの⁉︎」
私は大声で威圧したが「もっと、もっと虐めてください。」夫は涙を流しながら、私に甚振られるのを望んでいた。
夫を監禁した当初はこんなことはなかった。
私に監禁されたショックと恐怖、そして私からの性的な悪戯などから、夫は発狂して変なフェチに目覚めたのかもしれない。
私はその後も夫を監禁して再教育を続けた。
・・・
その後夫はようやく解放され、数日ぶりに太陽の光を見た。
そこには、私にも子供たちにも常にニコニコとしながら敬語で話す夫だった。
夫の体には手を加えていないが、私の洗脳によって夫は去勢されたように従順になっていた。
-END-
『 フィッシャー (39歳・♀)』さんからの投稿です
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